”乗れる理事長”の波乱万丈BMXヒストリーに迫る|JFBF出口理事長ロングインタビュー 1/3

多岐に渡る活動でBMXフリースタイルを盛り上げるJFBF(全日本フリースタイルBMX連盟)。Japan Cupや全日本選手権の運営、世界大会へのライダーの派遣サポート、その他多岐に渡る活動をしている団体ですが、その理事長であり、超ベテランBMXライダーでもある出口さん(ニックネームDegoo /デグーさん)はどんな人物で、どんなことを考えて連盟を運営しているのか。

BMXフリースタイルがオリンピック種目に採用されてから激動の数年間が過ぎ、ライダーそれぞれの立場で、BMXのあり方、連盟のあり方についてさまざまな意見が飛び交ってきましたが、想像であれこれ言うのはナンセンスだし、可能ならば直接聞いてしまいたい、と言うことで、あんなことやこんなことまでぶっちゃけた取材をさせていただきました。

インタビューさせていただいたのは岡山県のライトBMXパークと、併設のJFBF事務所。同席していたライダー(特に高木聖雄くん)のトークも時々交えつつ、3時間近くの超ロングインタビューと撮影にお付き合いいただきました。
今までで一番ロングなインタビューになったので、3回に分けてお届けします。

出口智嗣(でぐちさとし)44歳。最近ハマっているのは「DJ」

インタビューさせていただいたライトBMXパークのサイン Photo:Naoki Gaman

81BMX:デグーさんが ”乗れる理事長” だというのは有名な話ですが、詳細を知らない人もいるかと思いますので今回はその辺りも詳しく聞いていきたいと思っています。まずは改めまして、BMX歴なども含めて簡単に自己紹介をお願いします。

出口さん:出口智嗣(でぐちさとし)44歳。BMX歴か!うーん、レースから行くと、33年かな。

81BMX:長っ!想像以上でした。

出口さん:気づいたら33年も乗ってたね。
そして出身地は岡山で、今も岡山に住んでます。ずっと岡山市です。両親は九州なんだけどね。両親が仕事で岡山に引っ越してきて、それからずっと岡山。

81BMX:九州!それは知らなかったです。そんなルーツがあったんですね。他に何かデグーさんのおもしろ情報などあればぜひ。好きな食べ物とか??

出口さん:好きな食べ物(笑)アボカドが好きで、よく食べるんだけど、先週アボカドと一緒に手を切ったら、アボカドが嫌いになった。

同席していたライダーたち:爆笑 じゃあ、嫌いじゃないですか(笑)

ちょうどライダーの高木聖雄くん、大池水杜ちゃんも練習しにきていて、和気藹々としたインタビューとなりました。  Photo:Naoki Gaman

出口さん:3針縫いました(笑)しかも縫い目が表に出ないようになっている特殊な縫い方で、倍痛いみたいな。さらに今朝気づいたら結び目が無くなってるし(笑)
あとはおつまみメンマが大好きです。喘息持ちなのでアクが強いものは食べないようにってドクターに止められているんだけど、好きすぎて無理です(笑)

81BMX:(笑)メンマが喘息に悪いなんて知らなかったです。好きならしょうがないですね。あとは最近ハマってる趣味とか…??

出口さん:やっぱDJすかね!(笑)

81BMX:やっぱり!(笑)

2020年12月のJapan CupでDJデビューした”DJリジチョー” Photo:Naoki Gaman /JFBF

出口さん:DJの奥深さはやっぱハンパないですね。前段取りがすごく大事だし、BMXに通じるものもあるのかなって。
練習した分上手くなるし、ひとつのプレイを段取りするのってルーティーンに似てるところもあるのかなって。やってること面白いなって。
好きな音楽かけて、周りがノッてくれるのも面白いなって思えるようになったんで、最近はちょっと時間ができればDJやってます。実は今日の朝もやってました。めっちゃノリノリでやってたら、急に運送会社の人が来てちょっと恥ずかしかったけど(笑)

81BMX:では次の大会でのDJも楽しみにしてます!

出口さん:1時間くらいで勘弁してください(笑)

32年のBMX歴の始まりはモトクロス。BMXの起源そのまんまのスタート

81BMX:(笑)充実の自己紹介ありがとうございます。
さて、わたしが出口さんにはじめてお会いしたのは2007年に岩手県コロポックルランドで行われたパークの大会だったので、”出口さん=パークライダー”のイメージが強いのですが、その前にはBMXレースでご活躍されていて、全日本チャンピオンにもなっているとお聞きしています。
そのあたりの話もとても気になるので、BMXを始めた頃からJFBF設立前までの、デグーさんのBMXヒストリーを教えていただけますか?

出口理事長の32年間のBMXヒストリーに迫る  Photo:Naoki Gaman

出口さん:むずいな!元々はバイクのモトクロスがやりたくて、小学校の中学年くらいかな。3〜4年生くらいの頃に親とバイク屋に見に行って、子ども用のバイクもあるよ〜って教えてもらって。
それをじゃあ買おうかなってところまで行ったんだけど、話を進めて行くと、トランスポーター、つまりバイクを運ぶための車が必要ですよ、ガソリンが必要ですよ、走るためにお金がかかりますよ、っていうのがわかってきて。
親としても、バイク自体は買えるのは買えるけど、その後の維持費や走るための経費だったりを考えるとこれは無理だろう、という判断になってしまって諦めて。

81BMX:BMXでも知らない人からしたら高い自転車だなーって言われることも多いですし、それなりにお金はかかりますが、モータースポーツだとさらにその何倍もかかりますもんね…

出口さん:そうなんだよね。でもその時に、BMXっていう自転車の競技があるよっていうことを教えてもらって。岡山の県北の方にコースがあるから行ってみたらどう?って言われて親と一緒に行って。それがBMXとの出会いかな。
それで、そこは一般開放もしていたから乗らせてもらって。そうしたら自分の横を、当時のプロライダー達がみんな飛んでいって、なんだこの人たちは!?って衝撃を受けて。
でも、そこでは1発目の1周目でコケて、腕が痛くてもうそのまま帰った(笑)

81BMX:(笑)その時はそのコースでBMXを借りて乗ったんですか?

出口さん:そうそう。レンタルバイクと、ヘルメットとプロテクターと全部借りて乗って。今もそのコケたシーンはっきり覚えてるんだけど、それがステップダウンだったんだよね(笑)シングルがあってその下にポコっとあって。刺さってコケた(笑)

そんなレースコースデビューでしたが、今現在もレースのお手伝いをしたりも。2020年BMXレースの全日本選手権にて。 Photo:Naoki Gaman

81BMX:ステップダウンは鬼ですね(笑)初めてでそれなら心折れちゃいそう…

出口さん:そう。それでもうBMXも別にいいやって思ってたんだけど、友だちがBMXのルック車を持ってて。レースコースで借りたBMXに似てるけどカゴは付いてるし泥除けも付いてて反射板も付いてて。
それを捨てるって言うからもらってきて、必要ないパーツを外して。ルック車だけど、本物のBMXみたいに見せようとしてカッコよく作って。
さらにその当時、その辺一体、実家の近所で工事が進んでて、土が盛られたり山ボコだらけだったんだよね。そこで勝手に乗って遊んでたのが始まりかな。それが5〜6年生の頃。

81BMX:BMXの起源はカリフォルニアでバイクのモトクロスに憧れた子どもたちが自転車で真似をして、土のジャンプを作ったり土手を走り下りたりして遊んでたことからって話が有名ですが、まさにそのまんまですね。

出口さん:そうだね。本当のBMXの遊びをしてたってことだよね。
そしてまたラッキーなことに、中学校がその近所の2つの小学校が合体するマンモス校だったんだけど、違う小学校から来た友達が、竹本将史(たけもとまさし)って言う、その後MTBがメジャーになった時にアジアチャンピオンとかになるMTBライダーで。
そいつが当時、BMXのレースをやっていて全日本とか出てる子だったんだよね。それでそういう世界を知って一緒に乗るようになって。そこから大会に出始めたのかな。中1の時だね。

81BMX:MTBの竹本さんってめっちゃ有名人ですよね!?運命的すぎる出会いですね。

出口さん:うん。竹本はその後、中3くらいからMTBに転向して行った感じかな。

81BMX:なるほど…!そんな感じでレースを本格的にやり始めたんですね。

出口さん:そう。たけべの森ってところで。今もあるけどさびれてるかな。当時は公認コースで、今で言うJBMXF公認コースと同じ感じで、全日本選手権があったりとか西日本選手権があったりとか。月に1回か2ヶ月に1回は草大会があって、年間2〜3回大きな大会があって。それで、中1で初めて全日本に出た。

81BMX:ルック車改造から2年、レースを本格的に始めてからだと1年経たないくらいの時にもう全日本出ちゃったんですか!?

出口さん:うん。横須賀に行って、特設で。当然、上手くもないし惨敗したよね(笑)全然だめで、その後もたけべの森に通ってたんだけど、1人で乗ってても楽しくないなって思ってて。
そんな時にたまたま地区大会があったから出ようって思って出たら、吉拓とかの地元笠岡(岡山県笠岡市)の方の子がいて。吉拓はもっと後に入って来るんだけど。
(吉拓=東京オリンピックBMXレーシング日本代表選手の長迫吉拓 / ながさこよしたく くん)

元々笠岡にはスポーツクラブBMXってのがあって、日体大出身の先生がいて、体操教室やったりBMX教室やったり、トレーナーとして色々やってて。その先生が、うちに来て練習してみないかって言ってくれて。
今だから言えるけど会費も免除してもらえて、トレーニングをびっちりつけてくれて。それで惨敗から1年後、中2の時の全日本で結果が出て。準優勝だったかな。

んで次の年、中3の時も準優勝、2位だったんだよね。万年2位って言われてた(笑)
その当時、今で言うエリートクラスが”スーパークラス”って言われてる時代で。16歳以上なら出られるんだけど万年2位だったから、岡山の協会からは16歳オーバーで優勝しない限りスーパークラスにはあげないよって言われて。

全日本選手権で勝ち続け、そして世界の壁を知った16歳

左から、BMXレース三瓶将廣コーチ、2008年北京オリンピック日本代表の阪本章史さん、出口さん。 Photo:Naoki Gaman

出口さん:それで、16歳の時に大泉緑地であった全日本選手権で優勝して、次の年からスーパークラスにあがったのかな。その時にモトクロスインターナショナルと契約もした。

高木聖雄くん:それがHAROの時ですか!

出口さん:そうそう。その16歳で優勝してスーパークラスに上がってから1年間くらいは、全て勝ったな。次の全日本まで全て勝ち続けた。

81BMX:え、スーパークラスでですか?

高木聖雄くん:この話、レース界ではすごく有名な話らしくて、ゆうたくんと出口さんの話をすると、いつもこの話。
7〜8歳くらいの年齢差だからこの頃ゆうたくんは小学生くらいかな。レースでもいつもぶっちぎりだし、あの時の出口くんまじでやばかった、めちゃくちゃやばかったっていつも言ってる。
(ゆうたくん=BMX・MTBのプロライダーで、山梨県北杜市に国内のトッププロ育成を目指した施設YBPを作るなど多方面で活躍している栗瀬裕太 / くりせゆうたくん)

出口さん:アホみたいに筋トレしてたからな。家に筋トレマシーンがあって、その時は油圧式が流行ってて、油圧式だったんだけど、その油圧から煙が出るくらい筋トレしてた(笑)

一同:やばいやばい(笑)

出口さん:それでロードワーク、ランニングを毎日して、その後BMXで走り込みしてっていうのを毎日。どうしても全日本で勝ちたくてやってたんよ。

81BMX:それでめっちゃ勝っちゃったと…!

高木聖雄くん:アメリカも行ってましたよね。

出口さん:うん。でも世界の壁はでかかったな。レベルが違うと思った。あれはパワーだけではなくて繊細さと、なんだろうな、テクニックだろうな。レースの運び方が上手いなって。本当痛感した。その時は日本人が勝てるレベルではないなと思った。
子どもだったら単純にパワーとスピードで勝てることもあるけど、年齢が上がってくるとレースの運び方が上手じゃないと勝てないし、速ければ勝てるってもんでもないし。13歳くらいからは世界との差が目立つ感じだった。
唯一吉拓はレース運びが上手いと思うし、奴が今ここまでいってるから、今では日本にもまだまだ可能性はあるなって思ってるけど。その時は本当にショックなくらいの差を感じたな。
それを16歳の時に気づいてしまった。無理だなって思った。今おれらがやってもどうにもならんと。次の世代、いや、3世代くらい後の、その時の小学校低学年くらいの奴らを育てればなんとかなるんじゃないかなとは思ったけど、指導者になりたいとも思ってなかったし、正直その時はどうでもいいやって思ってて。
それで、元々の遊びのBMXに戻ったのかな。

81BMX:なるほど。段々わたしが初めてお会いした頃の出口さん時代に近づいてきた気がします。

トレイルでダートジャンプにハマり、そしてパークへ

2013年のOYA-Z JAMでのデグーさん Photo:OYA-Z BMX JAM

出口さん:高校はいろんな面白いこともあるし、高3くらいはほとんどBMX乗ってなかった。まあ全日本とか大会があれば出てたけどトレーニングもしなくなったから当然勝てないし。それで大分諦め始めてきてた頃に、トレイルってのが流行り出して。
それでもうレースコースに行かなくなってレースバイクをバラしてトレイル用に組み替えたり、山を掘ったりして。19歳くらいから20歳、21歳くらいはそんな感じで過ごしてたな。

81BMX:パークの前にトレイル時代もあったんですね。ちなみにトレイルはどこで乗ってたんですか?

出口さん:一番最初は地獄谷かな。あれを見て笠岡に真似して作って、どうしてもこっちに欲しいって思って、河川敷に勝手に…(笑)

81BMX:河川敷!みんなやるやつですね(笑)その時はまだパークは行かずトレイルのみだったんですか?

出口さん:うん。その時はトレイルのみ。パークは23歳くらいになってからかな。高松にライドストアが出来てから。その当時は本当にすごいパークだったんだよ。

81BMX:ライドストアって名前は聞いたことあるけど、あまり情報がなくてどんな場所だったのかわからないんですよね。

高木聖雄くん:逆に今写真探してもないかも。一瞬しかなかったし、mixiが出てくる前の、ホームページですらたぶん無いかもしれないですね。

81BMX:何年くらい前ですかね?BMX FREEDOMには載って…?
(BMXFREEDOM:2002〜2004に刊行されていたBMXの商業誌。81BMX編集長ナオキングがBMXに出会って間もない頃に書店で販売されていた。)

出口さん:載ってないなたぶん(笑)

高木聖雄くん:バシくんが育ったところですね!
(バシくん=北千住の名物ライダー橋谷大夢くん。BMX&スケートパークとハンバーガーショップが合体した夢の場所BBCのオーナーとしても有名。)

出口さん:高松はバシの地元だからな。そこにツルケンとかいつもいたな。
(ツルケン=鶴田絢史(つるたけんじ)くん。今はRC業界に活躍の場を移しているがBMXプロライダーとして雑誌にもよく登場していた伝説のライダー。)

81BMX:バシくんにツルケンくん…!!あれ?でもツルケンくんって関東の人じゃなかったでしたっけ?

出口さん:うん。でもそこが多分当時の日本で一番の場所だったからな。いつも乗りに来てた。今では子どもたちでもバンバンとスパイン飛んでるけど、俺そこで初めてスパイン飛んで、ハンドルがグイっとなって腹にハンドルが刺さったり(笑)すごく狭いパークだったんだけどスパインが2種類あって。色々練習してたけど、痛くて帰ったな(笑)

岡山の伝説のパークASPO誕生のきっかけは、タイミングとぶっ飛んだ会話だった

2013年のOYA-Z JAMでのデグーさん Photo:鈴木りょういち / OYA-Z BMX JAM

81BMX:想像しただけで悲劇…(笑)ということは、ライドストアの後にASPOができた感じですか?
※注 ASPO(アスポ)岡山にあった有名パーク。スポンジプールもあった。

出口さん:そうだね。多分ほんの数年後くらいだけど。ASPO計画も同時くらいに進んでて、確かおれが21歳くらいに岡山市長に会いに行ってASPOを作ってくれって言ったんだよね。

81BMX:デグーさんがひとりでお願いしに行ったんですか?

出口さん:岡山の、今のライトパークの近くの不動産屋さんの社長がすごく懇意にしてくれていて、こういうのを作りたいんですと話したら、それなら市長に会わせてやるって、機会を作って連れて行ってくれて。
よくよく考えるとその時、後ろにスーツを来た大人たちが沢山いて。おれは頭もその時白で、ジャケットも着ないでTシャツかなんかで行ってしまったんだけど(笑)岡山県自転車競技協会みたいな人たちで。誰かが連れてきてくれたみたいで。

そういう人たちにも聞いてもらいつつ、市長に、僕はこういうのを作りたいんです。でもお金もないし頭も悪いからどうしていいかわからないんですって。
そうしたら、その当時の市長が結構イケイケの市長で、んじゃこれを作ったらお前は何をしてくれるんだ?と。
それで、作ってくれるんなら、僕ひとりで岡山駅とかその辺歩いてゴミ拾ってくるんで、それでいいっすか!?って言ったら、おもろいなお前とかなって(笑)

81BMX:なかなかぶっ飛んだ会話ですね。

出口さん:そうしたら、この人たちに協力するのはどうなんだ?って言われて教えてもらったのが、同じタイミングでインラインの安床さんとかの絡みの、神戸から来た企業が同じような構想を持って来ていたって話で。

市としてはその企業には岡山の人間もいないし無理かなって思ってたということで、君が来てくれたからそれなら君も入って構想を組み立てろって。それでそのメンバーにプロデューサーとして入れてもらったんだよね。
元々はインラインの施設という感じだったけどそこにBMXやスケートボード、あとはFMXとかもミックスして作ったらどうですかって提案をして、それが2年後にオープンした感じかな。

81BMX:なかなかすごいタイミングですね。岡山市も理解と勢いがすごい。

モトクロスインターナショナル岡本社長、ジックジャパンのユングニッケル憲さんと繋がり

2012年ペルージャカップでのデグーさん Photo:Naoki Gaman(コンデジ時代)

出口さん:まあその頃モトクロスインターナショナルの岡本社長は、お前ふざけんなと思ってただろうけど。レースでサポートしたのにレース出ずに自転車だけ欲しいとかわけわからんよね(笑)

でも岡本社長はおれをサポート切ってないんよ。何があっても切らんと。
でも申し訳なさすぎるからおれから辞めますって言って。それから数年間はサポートなしで乗ってて、その後27歳くらいの頃にケンさん(ジックジャパン社長)に出会ったという感じだな。

岡本社長とケンさん、その2人との繋がりはすごく濃くて。岡本社長には今でも怒られることもあるし。栗瀬裕太の結婚式の2次会で2時間ずっと隣で説教されてたりとか(笑)説教ってのは冗談で、ずっと話をしてたってだけだけど。

その頃の俺は、当時のトップライダー連中の大将(今は色々な大会でジャッジとして活躍されているレジェンドライダー岡田一生さん)とかみんなにも、お前が日本一ひどいBMXライダーだって言われたりしてて。酔っ払って無茶振りとか色々してたし。その頃のことはトシオがよく知ってるよな。

大会のジャッジは大将さんやアトムさんといったレジェンドライダーと、UCIの公式ジャッジ資格を持つ稲葉さんが担当している Photo:Naoki Gaman / Japan Cycling Federation

高木聖雄くん:良くも悪くも、今はある意味ストリートとパークが2分化してるじゃないですか。出口さんたちの頃、僕がBMXを始めた中学生の頃はそれが一体化してたから、それがめちゃくちゃカッコよかったんですよね。
ちょっとした”悪さ”みたいなのと、BMXが大人の遊びになって行った感じと、カッコよさと、あとは攻めるところのアスリート的な部分と。全部のいいところ取りだったから。めちゃくちゃ憧れが強かった。
その中でも出口さんはいいキャラをしてたというか(笑)、今の出口さんから真面目を取った感じで、面白さとライディングのカッコ良さがあったんで。
あの時代をあんな感じに生きてたライダーは羨ましいなって思うし、今の子どもたちがトップライダーを見ているのとはまた違った憧れを持ってましたね。

出口さん:ひどかった(笑)

高木聖雄くん:ひどいけど面白かった(笑)

ちっさいランプでバックフリップしたら、ジックのサポートついちゃった

2013年ジック時代のデグーさん。隣は今より若干軽量のナオキング 
当時としてはかなりコンパクトな設計だったflybikesのティエラフレームが大人気で、4色揃ったので記念撮影。 Photo:??Naoki GamanのInstagramより

出口さん:ジックのケンさんと出会ったのはライドストアで大会があった時だったんだけど、その前の日に岡山のクラブでショーがあって、それも出て欲しいって言ってもらって出てたんだよね。
クラブでショーってそりゃ酒を飲むわな。それでそのままフェリーに乗って高松に行って、なんかこう、二日酔いもあって目の前が曇ってる感じのまま大会に出て。
大会自体もドンチャン騒ぎでそんな中でみんなで乗ってて。その時すっごい小さいランプがあって、普通にみんな軽く飛び越える感じなんだけど、おれは勢いでなぜかそこでバックフリップしたらしくて、メイクして大盛り上がりで(笑)
それでケンさんが、うちのBMX乗らないかって。

81BMX:それでですか!!!???(笑)

出口さん:そう。そっからジックのライダーになったんだよね。それが27歳。

81BMX:ノリでちっさいランプでバックフリップしたら、ジックのサポートついちゃったってことですね(笑)

一同:それ聞いてみんなやり出したらどうしよう(笑)

出口さん:いやいや、テールウィップとか他のもちゃんと色々してたんよ(笑)そのバックフリップが印象的だったってだけで(笑)
それがケンさんとの縁のはじまりかな。

2013年のOYA-Z JAMでのデグーさん Photo:鈴木りょういち / OYA-Z BMX JAM

81BMX:そのくらいの頃はトレイルとパークって感じだったんですか?

出口さん:その頃になると完全にパークになってたかな。その前にストリートもやってた時期もあるんだけど、パークはやっぱり楽だし。

81BMX:デグーさんのストリートって想像つかないです!グラインドとかもしてたんですか?

出口さん:ノーペグだった。ノーペグでジャイロか、ノーペグノーブレーキか。ちなみにダニエルが言うには、日本でノーペグジャイロスタイル作ったのはおれらしい?ダニエル説だけど。

高木聖雄くん:そうですね!その頃ってブレーキはストレートケーブル、一本引きが流行ってましたしね。

81BMX:ちなみに好きな、または得意なストリートのスポットとかトリックとかってありましたか?

出口さん:カーブウォールばっかりやってた。カーブウォールして上にテールスライドとか、アウトでバースピンとか。ウォール左右両方できたからそれが面白かった!

81BMX:カーブウォール!見てみたい…!なるほど、それが20代後半ですね。

初めて主催した大会で参加ライダーが大怪我。組織の重要さを考え始めた出来事

出口さん:んでその少し後にナオキもご存知の、あの事件が起こると。
あ、でもその前に、これは後で連盟にも繋がっていく出来事なんだけど…。
その頃、いつも大阪でやっていた450JAMを、違うところでやろうっていう動きがあって、東京のアメージングとか、岡山とか。
(450JAM=ヨゴレジャム 1990年代後半に大阪で結成されたBMXチームであり、パーツやアパレルもリリースして人気を博していたDIRTY450主催のJAM)

それで、俺はその時BMXはジックのflybikesだったんだけど、アパレルは450にサポートしてもらってて、450ライダーでもあったから、岡山のASPOで450JAMをやることになって、初めて大会を主催したんだよね。450の社長のもっさんと色々頑張って。

その大会で実は大怪我があって。名前は伏せるけど、あるライダーがバックフリップして、そのままジャンランじゃなくて地面に頭から落ちていって。
俺はジャッジしてたんだけどめちゃくちゃ焦って、ジャッジシートとか全部投げるくらい慌てて駆け寄ったらもう、俺は見られないくらいの状態で。
その後救急車を呼んでもっさんと一緒に乗って行って。その時ゲストでケビンポーターも来てたんだけどめちゃくちゃ心配してたな。

そうして病院についてICUに入ったんだけどオペもできない状態で。主催者として、覚悟を決めないといけないなって。もう、こいつの家族と彼女のために俺ら働くぞ、って思うくらい。
その時、大会をするにあたって俺ら保険も入ってなかったし、その頃はクラウドファンディングのようなものもないし。
結局、大変な思いをするのは、損するのはライダーだった、ちゃんとした団体がライダーを支えるシステムを作らないと、今後とんでもない事になるって、俺ともっさんで気づいて。

その後すぐに全国色々なところに行って、そういう、協会とか、連盟のようなものを作りませんかって言ってまわったんだけど、その時はみんな、そういうものは必要ないって。
協力するよって言ってくれたのはジックのケンさんだけだったから、俺、もっさん、ケンさんの3人しかいなくてそのまま話が立ち消えてしまったんだよね。
で、その後、29歳の時に俺が怪我をすると。

その時動けなかったから今生きてる。頚椎損傷からの復活

endpoint81当日の写真を探したけどブレッブレのライディング写真とこれしかなかった Photo:Naoki Gaman(ガラケー時代)

81BMX:2007年、岩手県のコロポックルランドで行われていた大会endpoint81での大怪我ですね。あの時わたしも現地にいて、朝に初めてデグーさんとお話ししたのと、BMXのカラーリングがめちゃくちゃおしゃれで、flyいいな〜欲しいな〜って思ったのを覚えてます。
デグーさんがライディングしている時、ちょうどジックのケンさんが最寄り駅に着いたってことで迎えに行っていて。ケンさんを乗せてパークに戻っているときに、ケンさんの携帯に「デグーがクラッシュして大怪我をしてしまった」と電話が…

出口さん:頚椎損傷で四肢麻痺だった。でもあの時の記憶はほとんどなくて。映像も見てないし、見る気もしないし。もうBMX辞めようと思っていたくらいだし。

だけどその怪我の時に色んな人から手紙をもらったんだよね。
さっき話した岡山で怪我したライダーも、なんとか怪我が治ってBMX乗れるようになったって手紙をくれたり。
実は俺が知らなかっただけで、BMXで亡くなった方もいたり、不随になった方もいたり。
デグーさんなら絶対復活できるんで、ぜひまた乗り始めてくださいって。

四肢麻痺だったから、動けないし、ご飯も食べられないし。家族にはすごく迷惑をかけてて。今だから言うけど、”動けるなら自殺したい”と思ってしまうくらい辛かった。その時動けなかったから今生きてると思ってる。
そのくらい、生きてる意味無いなって思ってた。みんなにすごい迷惑をかけてたし。

それでも、家族と仲良いライダー達が、意識があるなら行くぞって言って俺を抱えて草大会に連れて行ってくれたりとか。

ケンさんにもすごく助けられた。その時、もうジックのサポート切ってください、みんなに迷惑をかけるから、ジックライダーでいる訳にいかないからって夜中にメールしたら速攻電話がかかってきて、「お前ふざけんな」みたいな。
タイヤ送っとくから、手がなんとか動くんだったらそれを組み替えろ。もうすぐフレーム入ってくるからそれ組み替えて写真撮って送れ、とか。

そんな感じでたくさん支えられて。乗りたくなって。それでまた改めてBMXっていう生きがいが生まれて、生きる希望ができたって感じかな。

81BMX:ケンさんの話はずっと前に人づてで聞いたことがあります。何回聞いても泣けます…

出口さん:ちなみに岩手での怪我の後しばらくして、飛行機に乗れないから岡山には新幹線で帰ってきたんだけど、新幹線もきつかったよね。
過敏神経ってのになってて、ストレッチャーで運ばれてても、2ミリくらいの段差で痛いし、クーラーの風でもビクってなるくらい。服の袖が当たるのさえ痛くて、切ってノースリーブにしてた。
首にコルセット巻いて、帰りたいんだって言ってなんとか帰らせてもらえることになったんだけと、東京駅の乗り換えで、前からきた人がぶつかってきて(笑)
ひとりで声にならない声を出して耐えた(笑)痛み止めを使っても効かないんだよね。

今も痺れは残ってるけど、人間慣れるもんなんだよね。たまに痛いけど、だいぶ平気かな。
ただ、またBMX乗りはじめて、パークで乗っててランプの上とかで待ってると、他のライダーがドーンって乗ってきたりするよね。そうすると過敏神経でバーを握ってる手が勝手にパーン!って開くんだよね(笑)それ以降ペグは使えなくなった。(笑)

普通に着地してもその衝撃で手が開いてしまうから、いかに振動が来ない乗り方をするかとか、わけわからんことを考えて乗ってて。親には、まだそんなことやってるのか、次BMX乗ったら殺すぞとか言われたり、その時やってたブログをチェックされてエアの写真が見つかって怒られたり。でも乗るのはやめられなかったな(笑)

怪我したことは本当に悪いことだけど、悪いことだけではなかった、って今は思ってる

2020年Japan Cupでの一コマ。 Photo:Naoki Gaman /JFBF

81BMX:29歳で大怪我をされて、その後乗れるようになったのは何歳くらいの時ですか?

出口さん:普通に乗れるようになったのは32歳くらいかな。半年間寝てたから、自分の身体じゃないみたいだった。筋肉も無いし、ガリガリで。
実はあまり人に言っていないけどそのタイミングで病気もあって。頚椎損傷の後、半年くらいで脳出血してまた入院して。
オペもできない場所だったから、運を天に任せる、くらいしかできない状況で。いつ爆発してもおかしくないって感じで、それから13年くらい生きてるけど。
脳出血に関しては頚椎の怪我とは全く関係なくて、単純に、30代からリスクが上がる病気だけど、10万人に2人とかそんなパーセンテージらしい。今もその不安は抱えてるから、半年に1回フォローしてるけどね。

81BMX:そんな確率の病気がそのタイミングに重なって発症するなんて、波乱万丈すぎますね…

出口さん:そうだね(笑)まぁでも、その怪我があって改めて本気で、この業界には絶対何か必要だって思うようになって。
でもさっき話したように連盟は実現できなかったしお金もなかったから、ケンさんに、怪我人をできるだけ出さないように、きちんと乗り方を教えるスクールを全国でやるべきだと思うから協力してほしいってお願いして、動けるようになってからジックで雇ってもらって。

怪我から5年後のOYA-Z JAM2013ではスタッフ・ジャッジとしても活躍 
Photo:鈴木りょういち / OYA-Z BMX JAM

ケンさんがショップを探してくれて、費用も全部出してくれて、それで全国回って。それがデグースクールの始まり。
それを、ある程度経ったらお金をいただけるようなものにしていって。
今でこそ、プロライダーが有料のスクールをやれるようになっているけど、当時はスクールなんて無料が当たり前、BMXっていうのは教えあって当たり前だ、っていう時代だったけど、俺はそれをお金に変えるべきだと思ってて。
そのお金をプールして何かあった時に使えるようにしたりとか、ビジネスにしたほうがいいって思って、初めてお金をもらってスクールをやったりもした。

81BMX:そういう風潮だったってことは、お金をいただくことで、まわりから反発とかはあったんじゃないですか?

出口さん:めちゃくちゃあった。BMXで金稼ぐなんてどういうことだ、とか。
でも、今考えると、お金出してでも教えてもらった方がちゃんとした事を教えてもらえるよね。お金もらったら適当にはできないし、お金払ったんだからちゃんと教えてくださいねって言うこともできるし。そういう関係性がBMXにもあってもいいんじゃないかなと思ってた。

2018年の初めにお台場で開催された体験会。講師はデグーさん、ぶーやんさん、そしてなんと中村輪夢くん、大池水杜ちゃん、高木聖雄くんと今思えばかなりの豪華メンバーだった。 Photo:Naoki Gaman

今はみんなしっかりした金額でやってるけど、当時俺は1時間500円とかからスタートだった。それを最終的には1時間3,000円まで上げて、それでも満員にできた。そうやってライダーがBMXで生活できるようになる一つのきっかけを作れたのはよかったかなって思ってるし、それは怪我がなかったら気づいてなかったと思う。

自分自身がBMX上手いと思ったことは無いけど、レースをやっていたから、面の合わせ方とか、綺麗な乗り方はできると思っていて。ただ、それを人に教えるってなるとまた難しくて。
だけど怪我をして、握力が15くらいになったことで、その子供みたいな握力でどうやったらBMXが動くんだろうって。どこに力を入れる、どのタイミングで、どの角度で…とか。そんな風に自分自身を分析してたから、子供たちに上手く伝えられるようになったんだと思う。
怪我したことは本当に悪いことだけど、悪いことだけではなかった、って今は思ってるよ。

2021全日本選手権にて 最後に挨拶をする出口さん  
Photo:Naoki Gaman / Japan Cycling Federation

 

波乱万丈のBMX人生により、BMX業界のことを考え独自に動き始めたデグーさん。次回の第2段では、JFBF設立に至った経緯から、設立当初の話。そして、少し前にストリート界隈をざわつかせた、あの噂にも迫っちゃいました。お楽しみに!

JFBF(一般社団法人 全日本フリースタイルBMX連盟)公式サイト
https://japanbmx.com/
JFBFInstagram @jfbf_official
出口さんInstagram @degoo8